サラリーマン川柳はいずこへ

「また値上げ 節約生活 もう音上げ」

 第一生命保険が5月25日、「サラリーマン川柳」のコンクール優秀作品10句を発表した。その1位となったのが上記の句である。今年で36回を迎えるこの川柳コンクールは、今年からサラリーマンに限定せず広く応募を募ったため、「2022年サラッと1句!私の川柳コンクール」と呼び名が変わった。サラリーマンの悲哀が働き手全体に及んでいると見るべきか、はたまた、正規・非正規の格差を反映しているのか、名称変更の理由はわからない。昨年(第35回)の第1位(「8時だよ!昔は集合今解散」)と比べてみると、生活一般を反映する川柳が増えた印象がある。

 川柳は時代を反映した「笑い」の一形態である。昨年度は、COVID19(コロナ感染症)が会社社会に与える影響が上位8位までを占め、残り2句はデジタル化によるものであった。それに対して、今年(第36回)では、コロナ関連は3句で、そのうち2句は10位と9位だった。そのほかは、デジタル、宅配便、健康等多様化している。生活領域に拡大したことがわかる。生活・世相のつらさ、苦しさを柔らかなユーモアに包んで悲哀(ペーソソス)として読み手に感じさせる「支援」ユーモア、共感のユーモアを生み出している。

「炎天に米買ふといいふ一仕事」(『明治大正時事絵川柳』91頁)

 これは大正7年(1918年)富山を端緒として始まった、価格の引き下げや安売りを要求した抗議運動が全国に展開した米騒動の原因となった、米価の値上げを描写した川柳である。米騒動は知っていても暴動は8月の真夏に起きていたことはあまり知られていない。第1次世界大戦後(1914-17)日本はシベリア出兵を企画した。コメの需要が戦争によって高まると予想した地主や商人が米を買い占めたため、価格が高騰した。それが背景にある川柳である。ちなみに、この川柳には戯画のような挿絵が付されている。炎天下に米を買う人の行列を描き「白米一升三十五銭」の立て看板が見える。この年、1月には1石(100升)15円(つまり1升15銭)だった米価が、7月には20円(1升20銭)、8月には大阪堂島の米市場で1石50円(1升50銭)にまでなったといわれる。当時のサラリーマンの月収が18円から25円であり、コメの消費量も(データはないが)今より多いとすれば、高騰といってよい。1石は約30㎏として、一般家庭で仮に1月10㎏消費するなら、1石50円は3か月分に相当する。月収20円の社会人では月に8割が米代に消える。

 『明治大正時事絵川柳』の作者のひとり西田當百(1871-1944)は、この本の「自序」で「寸鉄人を刺す底の痛烈な時代風刺は、短詩形の川柳が最も勝っている」(旧字は新字に変えた)と述べている。そこにある挿絵もまた、川柳の絵解きであるが、また諷刺画の一つとして見ることができる。

 諷刺画と諷刺性の強い川柳の「合わせ技」をもった川柳と、画というビジュアル援護もなく孤軍奮闘する第36回の第1位川柳と比べるのは酷だったかもしれない。しかし、1年間に2度も3度もほぼすべての財やサービスが値上げされ、それに対して賃金・給料は上がっていない。だから、節約せざるを得ない(値上げに見合った賃金上昇があれば節約などしない)。この第36回第1位川柳は、値上げに窮しているだけでなく上がらぬ給料にも窮している生活を描いている。また、税金、社会保障といった公的な料金も「広く浅く」をスローガンに値上げしている。こちらは、原油価格や電気料金の高騰といった理由なく「問答無用」に上がる。庶民の生活はもはや限界にきている、その叫びがこの第36回第1位の川柳なのである。

 しかし、ここに格差という現象がこの川柳理解の広がりを阻んでいる。給与や所得も賃上げが可能であった企業などにあっては、また雇用形態の差によって所得の格差は厳然と存在するようになった。

 早朝の情報番組で、この旧「サラリーマン川柳」を紹介していた。その紹介の仕方が楽しく明るく伝えていた。ニュース番組の出演者たちは金持ち?と一瞬思った。彼ら彼女らも給与所得者、サラリーパーソンだろうに。どうも生活一般・サラリーマン生活の「悲哀」にピンと来ないように見えた。もはや階層としての「サラリーマン」は存在しなくなったことを川柳の悲哀と諷刺が受け入られなくなったことからはっきりと示されたような気がした。