共産党除名事件と『バトルスタディーズ』と聖書 「姦通の女」(ヨハネによる福音書第8章3~11節)

いささか旧聞に属するがとある事件のことについて書いておきたい。

1はじめに

 日本共産党が党改革を訴えた本を出版した党員を除名処分にしたという事件を聞いて今週(2・9)発売の『コミック・モーニング』(2023年11号)で掲載されていた『バトルスタディーズ』(なきぼくろ・作)と聖書の「姦通の女」(ヨハネによる福音書第8章3~11節)を思い出した。

2「日本共産党除名事件」

 日本共産党は、2月5日、党員で安保外交部長経験のあるジャーナリストの松竹伸幸氏を除名した。日本共産党は、委員長公選制を唱えた『シン・日本共産党宣言』(文春新書、2023年)を出版したことが契機となって、党の決定に反する主張を外部で行ったことが党に対する敵対行為とみなし、党規約違反として松竹氏を処分した。党首公選制も、民主集中制という党の原則と相いれないという。日本共産党の幹部はもとより党員からも松竹氏を支持する声はこの事件から3か月半近くたっても聞こえてこない。異論を認めない頑な集団というイメージ形成に自らかかわっている共産党は情けない。事実、4月5月の地方選挙は、敗北といってよい結果だった。同時にここぞとばかり日本共産党を攻撃する輩が登場することも、ネット時代の「炎上」騒ぎよろしく、予想されたとはいえあまりに陳腐だ。

 確かに異論を認めない集団というイメージをより強くさせてしまうのは問題だ。どうして、日本共産党は内部から批判されると頑なになってしまう(ように見える)のだろうか。所詮「人間万事色と欲」であって、それを批判するにはクリーハンドどころか、無誤謬な清廉潔白さが求められる…のだろうか。これでは日本共産党は「神」にならないと世の中を批判できなくなる。

 日本共産党が目指すように見える「神」(共産主義が神に近づくというのも皮肉だが)でも、もっと人情味ある対応をする。ヨハネによる福音書第8章3~11節の「姦通の女」の一節だ。律法学者たちが姦通をした女性を連れてきて、イエスに処遇を問う。律法では姦通者は死罪だ。そこでイエスは、次のように言う。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」

すると、集まった人たちは、だれもこの女性に石を投げることなく立ち去った。そのあとイエスは、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」と語る。

 

3『バトルスタディーズ

 とある大阪の強豪野球部の話である。2年前に部員の喫煙で夏の予選を辞退したこの学校に新たな問題が生じた。野球部1年生の跳ねっ返り部員が,喫煙をした。それをいさめるため、3年生のレギュラー部員が一緒に煙草を吸う?その処遇で3年生たちが議論するときに、主人公の狩野笑太郎が、こう語る。「自分にとって都合の悪い人間排除するてお前ら神か」「半透明(ホログラム)の楽園でも創る気け?」「さっきから人のこと臭い汚いほざいとるけど お前らそんなにキレイんけ?」 ここで「次週に続く」(2月9日現在。もっとも掲載誌『モーニング』(講談社)の作品は必ずしも次週掲載されるとは限らない)。次の掲載で、笑太郎の主張に仲間はほぼ同意する。そして夏の予選を迎える。

4「罪を犯したことのない者が,…石を投げなさい」「じゃあ、みんなで石を投げよう」

 正直、日本共産党の事件を知って、最初に思い出したのは『バトルスタディーズ』のほうだった。それも笑太郎の最後の「お前らそんなにキレイんけ?」だけだった。事件に対する日本共産党の対応に目が奪われていた。しかし、あらためて読み直してみると、聖書の「罪を犯したことのない者」も「お前らそんなにキレイんけ?」の「お前ら」も、日本共産党の内部の人たちだけではなく、ほかの野党や与党、さらに日本共産党に失望したとする人たちをも指していて、この人たちすべてに投げかけられていることに気づいた。自分たちの抱えている問題を棚上げして、あるいは、自分たちは清廉潔白の万能な「神」として共産党は松竹氏を、ほかの与野党日本共産党「支持」者は日本共産党を、それぞれ「姦通者」として叩いていたのだ。批判は自らも含めた視点で行わねばならない。そうでなければただの攻撃だ。

 しかし、批判について聖書でイエスが述べた「了解」がすでになかったとしたら、狩野笑太郎は次の掲載時にボコボコにされ、「姦通者」は石をみんなから投げられるかもしれない。「批判を許さない社会」という時代の雰囲気があることを指摘している人たちがいる(例えば、野口、2018;山腰、2018)。統一地方選挙結果とG7の広島に戦争当事者を招いたことが内閣支持率を上昇させた現在(5月23日)、有権者は人間ではなく「神」になり、また、批判に対して、支持者に対して真摯に向き合わなかった日本共産党も「神」になってしまった。

日本共産党も批判を許さない政党となるなら、それはかつて来た道を辿ることになりかねない。

野口雅弘、2018 「コミュ力重視」の若者世代はこうして「野党ぎらい」になっていく(野口 雅弘) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) (gendai.media)

(2023/05/23 閲覧)

山越修三、2018 「言いっぱなし文化 批判というコミュニケーションの危機」『朝日新聞』2018年8月22日(朝刊)