「大学崩壊」はその原因が大学自体にもある。

 田中圭太郎『ルポ大学崩壊』(ちくま新書,2023年)を読んだ。教学と経営に分ければ経営の側に光を当てたルポルタージュだ。経営に監督官庁文部科学省などの官僚および政府・政治家(特に1980年代からの「大学改革」および直近では2004年国立大学法人化,2006年の教育基本法の「改悪」,2014年の学校教育法改悪)が重要なアクターとして描かれるのは当然として,そうした外部因子から発散された人物や集団が大学を崩壊させたとしている。大学の問題といえば,殊大学教員が「世間知らず」として揶揄され,「問題児」として語られるものが多く,大学で「苦しめられた」(実は大学生活を謳歌した)人たちが企業社会をモデルに(世の中や社会の代表として)批判する(嘲笑する)のが常であった。

 それに対して本書は,そうした「世の中」のひとつの要素が大学を崩壊に導いているという視点で書き綴る。ここに本書の特徴がある。

 しかしながら,本書の「励まし」は大学の中にいる教職員には届きそうもない。「すでに遅かった」のだ。「大学政策転換の陰で苦しむ教職員や学生」(本書帯の記述)はすでに瀕死の状態にある。大学の「企業化」とも言うべき症状が,教職員や学生にも広がっているからだ。

 たとえば,教員が属する委員会で重要なものは,「教務」と「学生」と言われてきた。「教務」は教育の場として「学生に何をどのように教えるか」,大学における専門知識を伝えるところとして重要であることは言うまでもない。「学生」とは,その大学教育を支える大学生活をどう整えるか,いいかえれば学生が十分な学びができるような環境を設定するために基本的な生活習慣や学習態度を培うための情報を提供するところである。そして,この「教務」と「学生」は,研究に裏打ちされた理念やマクロな視点に立つ活動の部分を教員が,具体的な単位履修やその手続き,奨学制度,健康管理といった実務的部分を職員がそれぞれ分担していた。これには,効率や機能を度外視した側面が伴っていた。1,2年で学業をさぼりすぎていても,3年から努力すれば進級卒業は可能であった。また,4年で卒業できなくても,大学生活と外の生活を相互に行き来しながら,「生きる技術」(ライフ・スキル)や「他者と関われる技術」(ソーシャル・スキル)を身につけて卒業した者も多くいた。4年までは自分のことしか語れなかったが,留年したら他者と話が通じるようになった学生もいた。

 ところが,少子化に伴う受験生の減少が大学に効率の波をもたらした。そのモデルは企業であった。モデルとして注目されたのは企業にいる人ではなく,そこでつくられる財(製品)やサービスであった。PDCAサイクルとは製造業の「品質管理」に用いられる手法であったという。それを,大学経営にそのまま適用した。「質保証」という言葉が学内でも使われるようになった。それは,たとえて言えばまっすぐなきゅうりを育てることであり,曲がったきゅうりは廃棄の対象となることをめざすものであった。「きゅうり化」はまず学生に向けられ,次には教職員に向けられた。80年代学校崩壊には、「腐ったミカン」であったが、今度は一定の質を保てないとみなされた学生・教職員は大挙して「腐って」なくても捨てられる。「腐ったミカン」の発想が、教育界にあったがゆえに、「品質保証」が難なく受け入れられたのであろう。むろん、大学はすべての成員が満たされるユートピアではない。また、効率のみがすべてを決める効率至上主義に特化した「社会」(集団)に企業社会が向かうとするなら、そこはディストピアにすぎない。

 しかし、大学を含む学校社会が、効率化を受け入れやすい土壌があった(たとえ、それが時代の要請に敏感であるという性質――社会的遺産の伝達機能――であった)といえるのではないか。だからこそ、今では就職養成所の側面を持ち公然と、以前では、企業社会に反発していた学生個人が、ゲバルト棒とヘルメットを捨て、長髪を切り、リクルートスーツに着替えて企業社会に「融合」して(包摂されて)いったのだろう。それが遺産の継承、「大人になって」いった、のだ。成績によって判定されるのは、良い成績をとることという、すなわちそのような能力がすべてを決める「メリトクラシー」に則っている。企業社会との親和性を持つことは、就職活動に見られる「ジェンダー秩序への服属」にもよく見られる。面接におけるいわゆる「リクルートスーツ」の着用を問題視する動きに対して、問題化は個人の我儘だとしたり、生物的差異と社会的差異を論理的根拠も示さず結び付けようとしたりする発言がそれである。これらの発言がすべて大学の中から発せられているかはわからない。しかし、無条件に面接のマナーとして自然化されているのは大学にもそれを首肯する動きがあるがゆえであろう。