スマホ嫌いと技術決定論

 スマホを初めて買いに行ったとき、パスワードを入れる作業があり、キーを何度もタッチする方法がうまくいかず入力の仕方で何度も間違えた。そのとき、そばにいた若い男の店員が、私のもたもたしたしぐさに業を煮やして、「違う」「違う」といって私のスマホを取り上げようとした。自分ができるからといって威張るなと思い、「自分でできなきゃ意味ないだろう」と思わず言ってしまった。その店員はいつまでもこんな客に付き合っていたら、自分の売り上げに響くとでも思ったのだろう。結局この方法ではできなかった。最初に応対してくれた人が「フリック入力」という「あ段」の一つを十字にスライドさせると「あ行」が出てくる方法を教えてくれた。この方法でやったらうまくできた。(いまだに、キータッチでは入力できない。また、スマホでもパソコンでもパスワードでよく使う「点」(・・・・)を数えるのがとても苦手だ。)

  スマホは正直嫌いだ。私はスマホで電話を受けることができない。「スマホお助け本」でもあまりに基本的に見えるためか出ていない。「スライドして受信」と画面指示が出たのでスライドして安心していたら、いつまでたっても相手の声が聞こえてこない。そのうちどこを押したかわからないが切れてしまった。そのためこちらからかけなおす羽目になった。(こうしたことが何度もある)。

 パソコンで調べてみると、電話の受け方は機種によって異なり、それで苦労している人が多くいることが、「スマホの使い方」の「コメント欄」を見てわかり「自分だけではない」ことに安心するとともに、少し気になったことがあった。

 それは、電話の受け方をアイコンだけで説明し、その方法も「便利なように」変えているらしいとブログ作成者は答えていたことにあった。その人も困っているようだった。スマホ初心者にわかるように書かれたブログを作っているのだから、その作成者は熟練者なのだろう。しかし、スマホ初心者も熟練者も「使いにくい」と感じているのに、「使いやすく改変している」のはだれのためなのだろうか。

 「スマホ 嫌い」でGoogle検索してみると、上位に以下のような項目が登場する。

意外だったのは、スマホを購入した時に検索した4年前に比べて、スマホ嫌いを肯定するサイトもちらほら散見されることだ。スマホ肯定派のサイトは例えば次のようなものがある。

「要注意!? スマホが嫌い・否定したい人の3大心理

https://lifehackdou.jp/archives/185

「あなただけじゃない!スマホが苦手な理由4つとその対処法」

https://rakuraku-info.jp/articles-for-people-who-are-not-good-at-smartphones

スマホがいらない心理15選!苦手な中学生や社会人が持たない生活は?」https://belcy.jp/56377

 これらのスマホへの認識は、「スマホは主要なコミュニケーションツールであり、多くの人が肯定的にとらえている」、「スマホ全盛の時代」、「スマホはなくてはならない暮らしの一部として,さらに浸透していくはずです。時間はかかるかもしれませんが,今は「スマホなど必要ない」と言い張っている人たちも,いずれ利便性を知ったり必要に迫られたりして,スマホを持たざるを得なくなる日が来ることでしょう」、などという表現に端的にみられている。

 つまり、スマホ利用は「世界の大勢」であり抗うことのできないものである。という見方である。スマホ嫌いは少数派であり、いわば「多数決の論理」で、スマホ利用に屈するべきである、ということを述べている。ここには少数の尊重はない。技術には多様性の尊重はないと言っているに等しい。

 スマホ嫌い(苦手)な人間から見れば、スマホ肯定派は、スマホという技術が社会(文化・生活・政治・経済などあらゆる人の営み)の変化を決め、歴史を動かすという考え=「技術決定論」(柴田、2020、p61)に基づいているように見える。そんなオーバーな、と思うかもしれない。しかし、「無意識のバイアス」や「マイクロアグレッション」にみられるように、「些細なことは政治的なこと」なのだ。スマホ肯定者は、苦手な人に「教えてあげる」とするその姿勢が必ずしも苦手な人の立場に立っているとは思えない。「共感」ではなく「教官」だ。自分たちの意図を相手に押し付けて意のままにするというのは権力行使であり、そこに支配と服従の関係が生ずる。これは政治状態にほかならない…といえば言い過ぎとしても。

 ちなみにスマホが主要なコミュニケーションツールだというのは技術決定論でないとすると,なぜそれを強いるのか、冒頭に述べた表現では「誰にとって便利になった」のか、を問うてみよう。スマホ肯定派は、スマホは人を強いる手段として使っているとともに、それが使っている者にとって効率的、利益を生むからという経済効率性の論理だけが社会を動かすのだという経済決定論スマホを利用しているのだろう。「民主主義は工場の門前で立ちすくむ熊沢誠)よろしく、「企業や経済の前で民主主義は立ちすくむ」のか。

 熊沢誠,1993『新編 民主主義は工場の門前で立ちすくむ』(現代教養文庫)。

 柴田清,2020,「技術とは何か」(藤垣裕子責任編集『科学技術社会論の挑戦1 科学技術社会論とは何か』東京大学出版会所収)55頁ー82頁。